論理的な文章と筋の通った文章
「論理的な文章」と「筋の通った文章」と聞いて、どのようなものを思い浮かべるでしょうか。もしかすると、両者は同じようなものではないかと思った方もいらっしゃるかもしれません。「筋道を立てて説明しなさい」という意味で「論理的に説明しなさい」と言うという方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、両者は明確に異なるものではないかと思うのです。この記事では、高校数学の証明問題の中でも有名な「が無理数であることの証明」を題材にして、文章を論理的に書いたからといって必ずしも話の筋が通るとは限らないことと、話の筋が通っている文章だからといって必ずしも論理的であるとは限らないことを説明します。その上で、論理的な文章の筋を通すことを試みます。最後に、論理的な文章と筋の通った文章がそれぞれどのような場面で求められるかについての私見を述べます。
おことわり
- 「が無理数であることの証明」を題材にしたのは、幅広い分野の人にとって馴染みのある事項だと考えたからです。今の高校数学の教育や大学入学試験について物申す意図はありません。
- 大学受験を控えている方にとっては、この記事の説明が学校で教わっていることと異なっていて混乱を招くかもしれません。混乱しそうな方はこの記事を読まないことをおすすめします。
論理的な文章の例
論理的な文章の例として、が無理数であることの証明を挙げます。この証明は、典型的には以下のようになるでしょう。
(証明1)
が無理数でない、すなわちが有理数であると仮定する。
するとは互いに素である整数、を用いて
と表せる。
両辺にをかけると
となり、この両辺を2乗すると
となる。
よっては2の倍数であるから、も2の倍数である*1。
を整数を用いてとおくと、
となり、両辺を2でわると
となる。
よっては2の倍数であるから、も2の倍数である。
とがともに2の倍数となることは、、を互いに素である整数としたことに矛盾する。
したがってが無理数でないという仮定は誤りであり、は無理数である。(証明終わり)
同様の証明は高校数学の教科書にも掲載されているので、少なくとも高校数学の範囲では論理的に穴のない文章だといえるでしょう。
論理的だが話の筋が見えにくい文章の例
が無理数であることの証明は、以下のようにも書けます。
(証明2)
が無理数でない、すなわちが有理数であると仮定する。
するとは整数、を用いて
と表せる。
両辺にをかけると
となり、この両辺を2乗すると
となる。
よっては2の倍数であるから、も2の倍数である。
を整数を用いてとおくと、
となり、両辺を2でわると
となる。
よっては2の倍数であるから、も2の倍数である。
ところでが有理数であると仮定したことから、は互いに素である整数、を用いて
とも表せる。
しかし、先の議論から、を分母・分子がともに整数である分数で表すと、分母と分子はともに2の倍数になることが示されているため、ここに矛盾が発生する。
したがってが無理数でないという仮定は誤りであり、は無理数である。(証明終わり)
証明1では最初にとが互いに素である整数としたのに対し、証明2では単に整数としています。このため最後の方で話が行ったり来たりしていて、証明1に比べると、話の筋が見えにくくなっています。もっとも、証明2も論理的には正しいため、試験では満点を取れるのではないかと思います。
話の筋が通っているが論理的ではない文章の例
前節では論理的だが話の筋が見えにくい文章の例を挙げました。逆に、話の筋が通っているが論理的ではない文章というものはあるのでしょうか。今度は、が無理数であることの説明(証明ではない)を通して考えてみましょう。
(説明1)
が無理数でないと仮定すると矛盾が発生するため、は無理数である。が無理数でないと仮定すると、は有理数であるため、互いに素である整数、を用いてと表せる。この式を変形すると整数、が互いに素ではないことが分かり、矛盾が発生する。矛盾が起きたことから、が無理数でないという仮定が誤りであることが示される。(説明終わり)
この説明は筋が通っていますが、論理的とは言えません。式を変形すれば矛盾が発生するとあるものの、本当に発生するかは示されていないからです。もっとも、証明の流れを簡潔に説明せよと問われたときに、証明1のような論理的な思考の裏付けのもとに説明1を書いたという場合には、特段不誠実というわけでもないでしょう。
論理的な文章の筋を通す
説明1には最初に掲載した証明1よりも優れている点があります。
- 「背理法」の定石(真であることを示したい命題の逆を仮定として置き、矛盾を発生させることで、命題が真であることを証明する)を知らない人にとっても分かりやすい。
- 式変形を行う意図が、矛盾を発生させるためであることが明確。
- 証明1では、なぜ互いに素である整数、を用いてと表したかの意図は、いくつかの式変形をした後に矛盾が発生することでようやくわかります。
- 証明の全体的な流れを俯瞰できる。
- 細かな式変形を省いているため、証明がどのように進むのかの筋道を掴むことが容易です。
こうした優れた点を論理的な文章に生かすには、次のような点に留意すればよいでしょう。
- 導かれる結論を最初に示し、読者に話の筋道を示す。
- 式変形のようにある程度の長さを持った話を展開する前には、その方向に話を進める意図を明記する。
これらの点に留意して、証明1を書き直してみます。
(証明3)
が無理数でないと仮定すると矛盾が発生するため、は無理数である。
が無理数でないと仮定する。
すなわち、が有理数であると仮定する。
するとは互いに素である整数、を用いて
と表せる。
この式を変形すると、整数、が互いに素ではないことが分かり、矛盾が発生する。
矛盾が発生するまでの式変形は以下の通りである。
両辺にをかけると
となり、この両辺を2乗すると
となる。
よっては2の倍数であるから、も2の倍数である。
を整数を用いてとおくと、
となり、両辺を2でわると
となる。
よっては2の倍数であるから、も2の倍数である。
とがともに2の倍数となることは、、を互いに素である整数としたことに矛盾する。
以上が矛盾が発生するまでの式変形である。
したがってが無理数でないという仮定は誤りであり、は無理数である。(証明終わり)
証明1に説明1の優れている部分をいくつか反映させたつもりですが、いかがでしょうか。初めに「が無理数でないと仮定すると矛盾が発生するため、は無理数である」と導かれる結論を書いたことで、背理法の定石を知らない人にとっても分かりやすい文章になったかと思います。また、「この式を変形すると、整数、が互いに素ではないことが分かり、矛盾が発生する」と書いたことで、式変形を何のために行うのかの意図も明確になったかと思います。なお、式変形を書いた分、文章が長くなり、説明1よりも俯瞰性は落ちてしまいました。論理的に正しいことを示すためにはやむを得ないことでしょう。
論理的に書くか、筋を通すか
これは場合によるとしかいえません。数学の試験では、満点を取るためには論理的に穴のないことが求められるので、説明1のような文章ではせいぜい部分点しか取れないでしょう。では証明1から3のうちどのような文章を書けばよいかというと、証明1のような文章で十分であり、証明3の文章ほど筋道をくどく説明しなくてもよいでしょう。これは、が無理数であることの証明という問題の答案であれば、それを採点する人は背理法の定石を知っており、背理法による証明を想定していることを期待できるからです。わざわざ証明3のように「が無理数でないと仮定すると矛盾が発生するため、は無理数である。」などと全体像を説明しなくてもよいでしょう。回答にかけられる時間は限られていますから、むしろ証明1のような必要最小限の記述で満点を取ることを狙うべきでしょう*2。
一方で、自身の専門分野の話を専門外の人に向けて話したり書いたりする場合はどうでしょうか。そのような場面では、証明1のように論理的な文章を書くことよりも、まずは説明1のような筋の通った文章を書くことを目指すべきでしょう。その上で興味・関心を持った人向けには、証明3のような文章を書けばよいかと思います。
*1:厳密には「整数について、が2の倍数ならばも2の倍数である」という命題の証明がいるのかもしれません。この命題の証明は対偶である「整数について、が2の倍数でなければも2の倍数でない」を証明することでできます。この記事では「整数について、が2の倍数ならばも2の倍数である」という命題が真であることを前提にして話を進めます。
*2:とはいえそれは完答できる場合の話で、そうでない場合はむしろ証明3の冒頭部分や、説明1のような文章を書くべきでしょう。以下は私が高校生のときに数学の教師から聞いた話です。ある大学の入学試験で証明問題が出題された。数学的帰納法を利用した証明が期待されていたこの問題は、あまりにも難問だったためか正解者が皆無で、このままでは受験者の間で点数に差がつかないという事態に陥った。そこで、「数学的帰納法で証明する」の一言が書いてある答案には点を与えるという方針になった。